今年も小田和正の「クリスマスの約束」
吉田拓郎や桜井和寿など大物ゲストが出てきて驚いた。
「落陽」を久しぶりに聴いた。改めて良い詞だと思う。
若い頃に比べて良い意味で音楽の聞こえ方がだいぶ変化してきている気がする。以前は自分の好きな音ばかりを探しながら聴いていたけど、今はもっと自然に聴けてる感じ。この感覚はもっと追求したい。
2013年12月26日木曜日
2013年12月16日月曜日
亡き王女のためのパヴァーヌ
このブログを始めてから一年が経ちました。自分の音楽への思いを書き記しておきたくて始めたのですが、新しい発見が次々とあり、実りの多い一年でした。
J.S.BACHのロ短調ミサ
ウィーンとプラハで観たオペラ
佐村河内 守という作曲家とその音楽
ルルドで聞いたロウソク行列の賛美歌
パリで聴いたモーツァルト
などなど。
これらの音楽が私が音楽に求めていたのはある種の祈りだったということに気づかせてくれ、もう一度ピアノを弾く気持ちになったことは大きな変化です。
今まではJ.S.BACHの曲ばかり好んで弾いていましたが、来年は他の作曲家の作品にも取り組むつもり。なぜかラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』に惹かれ始めています。こういうゆったりしたテンポで表現力を必要とする曲は初めてなので一体どうなるんだろう?おフランスな響きも新鮮でちょっとドキドキします。
J.S.BACHのロ短調ミサ
ウィーンとプラハで観たオペラ
佐村河内 守という作曲家とその音楽
ルルドで聞いたロウソク行列の賛美歌
パリで聴いたモーツァルト
などなど。
これらの音楽が私が音楽に求めていたのはある種の祈りだったということに気づかせてくれ、もう一度ピアノを弾く気持ちになったことは大きな変化です。
今まではJ.S.BACHの曲ばかり好んで弾いていましたが、来年は他の作曲家の作品にも取り組むつもり。なぜかラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』に惹かれ始めています。こういうゆったりしたテンポで表現力を必要とする曲は初めてなので一体どうなるんだろう?おフランスな響きも新鮮でちょっとドキドキします。
2013年12月15日日曜日
佐村河内 守 交響曲第1番 HIROSHIMA
3月に放送されたNHKスペシャルで知った作曲家 佐村河内守さんの交響曲第一番HIROSHIMAを池袋の東京芸術劇場へ聴きに行きました。私より3歳年上のこの作曲家は2001年から2003年にかけてこの曲を作曲したそうです。多くの困難を抱えながら一人闇の中に留まり、ひたすら真実の音を探し求めながらこの交響曲は完成しました。私はこの一年間CDで何度もこの交響曲を聞いてきましたが、ひとつひとつの音に込められた思いの深さを実際の演奏を聴いて改めて感じることができました。この交響曲を聴くと『祈ることと音楽は同じである』という思いを感じます。言葉や音楽はコミュニケーションや表現の手段としてではなく『祈りの発露』として誕生してきたのではないかと考え始めています。
2013年12月10日火曜日
ピアノ練習 備忘録-08
怖いくらいにスケールの練習が順調にすすんでいる。以前はいくら練習しても変化がなかったのに、今回は弾き方を変えると音が変わる。左手の癖も修正できそうだ。ちょっと信じられない。
次に取り組む課題は『譜読み』。 苦手なんだよね。これも今回こそは克服するぞ。
次に取り組む課題は『譜読み』。 苦手なんだよね。これも今回こそは克服するぞ。
2013年12月9日月曜日
ピアノ練習 備忘録-07
今日は上半身の使い方を意識した。体の軸を垂直にしてお尻で体重を感じる。腕は肩からぶら下がっている感じかな。脱力している。この状態で必要最低限の指の力で鍵盤を押し下げる。鍵盤が底を打った瞬間の反力を腕全体で感じる。毎回、新しい発見があって楽しい。
2013年12月8日日曜日
ピアノ練習 備忘録-06
今日は下降スケールを一息で弾く練習。たくさん息を吸って少しずつ吐きながら弾く。結構苦しい。左手の②③の指と右手の④③のタイミングを合わせることにも注意する。手首の位置はやや高めで。
2013年12月6日金曜日
2013年12月5日木曜日
ピアノ練習 備忘録-04
引き続きスケールの練習。左手親指のくせを修正する方法を模索しながら弾く。だいぶ安定して弾けるようになってきている。とにかく脱力する。手を固くしない。指は上げないで軽く曲げる。これらを意識しながら耳と指先に神経を集中させて弾く。
2013年12月2日月曜日
2013年11月25日月曜日
ピアノ練習 備忘録-02
今まで左手の下降スケールが苦手だった。速く弾こうとすると親指が暴れて上手く弾けなくて限界を感じていた。すこしだけど光明が見えてきた気がする。今回こそ克服して綺麗なレガートでスケールを弾けるようになりたい。
2013年11月24日日曜日
ピアノ練習 備忘録-01
再開したピアノで気づいたことを書き留める。
①しばらくの間は指先の感覚と出てくる音の関係に集中する。
②特定の指の強弱や指残りによる不協音に注意する。
③手を軽く握った時の手の中の空間を保持することを意識して指を動かす。
④脱力はするけど指先は確実に鍵盤を捉える感覚を意識する。
①しばらくの間は指先の感覚と出てくる音の関係に集中する。
②特定の指の強弱や指残りによる不協音に注意する。
③手を軽く握った時の手の中の空間を保持することを意識して指を動かす。
④脱力はするけど指先は確実に鍵盤を捉える感覚を意識する。
2013年10月23日水曜日
2013年9月15日日曜日
音楽の迷宮 "Ariadne Musica"
モーツァルトのジュピターとJ.S.Bachのホ長調フーガの共通点に気づいてから、ジュピター音型について調べているのですが、思いもよらない展開が見えてきて自分でも驚いています。すっかり音楽の迷宮に迷い込んでしまいました。まだ上手く整理できていないのですが、備忘録として書いておくことにします。もしかすると私の曲解や誤解・誤読もあるかもしれません。
① モーツァルトの交響曲第41番『ジュピター』の第4楽章のテーマ「ドレファミ(ジュピター音型)」とJ.S.Bachの平均律第2巻のホ長調フーガはほぼ同じである。時間軸上では平均律の方が先に作られている。モーツァルト最後の交響曲の終楽章がフーガで書かれ、しかも同じ音型ということに重要な意味が隠されているような気がする。
② J.S.Bach(1685-1750)の平均律はJ.C.F.フィッシャー(1665-1746) の "Ariadne musica" を参照している。高木早苗さんというピアニストが実際に弾き比べている。一聴瞭然!
また、中村洋子さんという作曲家が両者の関係を検討している。
① モーツァルトの交響曲第41番『ジュピター』の第4楽章のテーマ「ドレファミ(ジュピター音型)」とJ.S.Bachの平均律第2巻のホ長調フーガはほぼ同じである。時間軸上では平均律の方が先に作られている。モーツァルト最後の交響曲の終楽章がフーガで書かれ、しかも同じ音型ということに重要な意味が隠されているような気がする。
② J.S.Bach(1685-1750)の平均律はJ.C.F.フィッシャー(1665-1746) の "Ariadne musica" を参照している。高木早苗さんというピアニストが実際に弾き比べている。一聴瞭然!
また、中村洋子さんという作曲家が両者の関係を検討している。
③ J.S.Bachの平均律第2巻のホ長調フーガはルネサンス期のフランス民謡『ロム・アルメ(L'homme armé)』と似ている(気がする)。
④ 『ロム・アルメ』は当時の作曲家の多くがミサ曲を作る際に定旋律として採用した。
⑤ 初音ミクがホ長調フーガにkyrieの歌詞を付けて歌っている動画を発見。素晴らしい感性!
⑥ 私がホ長調フーガに取り組むきっかけとなったグレン・グールドの演奏。衝撃映像。
2013年9月14日土曜日
ルルドの賛美歌
今年の夏のサイクリングの拠点にルルドを選んだのはツール・マレー峠やオービスク峠へのアクセスの良さとパリからTGVの直行列車があったからでした。さらにルルドはカトリック最大の巡礼地であり、この時期はサンクチュアリ(聖域)をたくさんの信者が訪れます。この街に来ればキリスト教とヨーロッパの人々の関係を肌で感じることができるのではないかと考えたのでした。これは宗教や信仰というものから最も遠いところで生きている私のような人間にとって未知の体験です。少しためらう気持ちもあったのですが、聖域を目指す信者の群衆に流されながら私も聖域へ足を踏み入れたのでした。そこで目にした信者の多くは高齢者や障がい者、病者であり、ボランティアの介助を受けながら長い列(聖体行列)をなして聖域の中を歩きます。どことなく誇らしげな彼らの様子を見ながら、私はただその場に立ちつくすばかりでした。そして、夜になると今度はロウソクを持った信者たちが集まり、賛美歌を歌いながら聖域の中を歩きます(ロウソク行列)。とても素朴で簡単なそのメロディは信者でない私にとってはむしろより強く胸に響くものでした。私はその歌声に圧倒されるばかりで少し離れたところからその光景を見るのが精一杯でした。
ルルドの聖域での体験は私に新たな問いへ目を向けさせるものとなりそうです。
この門から先が聖域です。
聖体行列
ロウソク行列(動画)
2013年9月8日日曜日
パリのモーツァルト
今年の夏のバカンスの締めくくりはパリで聴くベルリンフィルでした。
指揮はサイモン・ラトルでプログラムはモーツァルトのシンフォニー 39番、40番、41番(ジュピター)。このプログラムは今年のザルツブルグ音楽祭でも同じ演者で演奏されていました。実は当初、ザルツブルグ音楽祭+イタリアアルプスというプランも検討していましたが、ドロミテからザルツブルグへの移動に自信が持てなかったので諦めてしまいました。旅程をパリ+ピレネーに決定し、パリでの過ごし方を練っていた時、webでこの日のプログラムを見つけたのです。実際にパリの地下鉄でこの日の公演のポスターを見つけた時は感慨深いものがありました。まだ若く肥大化した自我を持て余し、挫折し、何も手に入れられない自分に苛立っていた頃はこんな風に人生を楽しむことは考えられなかったからです。
この日のコンサート会場はパリのSalle Pleyelです。Pleyelのピアノはショパンが愛用したことで有名なようです。ホールの内装は改装されたばかりでとても綺麗でした。チケットはwebで購入し、プリントして持参というスタイルです。前から3列目中央やや右で指揮者とコンサートマスターの表情がよくわかる席でした。
開演予定の10分前になり、開演を知らせるベルが少しずつ大きくなりまた小さくなりを繰り返し始めます。こんなところもとても音楽的です。ただ、この時点でも客席は半分ほどしか埋まっておらず、もしかしてパリジャンはベルリンフィルが嫌い(仏独は歴史的なものもあるし)なのかと思いましたが、やがて席はすべて埋まっていました。コントラバスの3人は早々にステージに現れ、小さな音で速いパッセージを繰り返し合わせていました。なかなか納得がいかない様子です。
そして、拍手の中メンバーが次々に登場します。コンサートマスターを除く全員が着席すると今までより拍手が大きくなり、黒髪のヴァイオリニストが登場しました。なんと今日のコンサートマスターは日本人の樫本大進さんでした。颯爽と登場し、チューニングの合図を出します。この音を聴くといよいよ始まるという思いが高まります。少し間を置いて指揮のサイモン・ラトルが登場しました。決して大柄でもなく、少し猫背気味なのになぜか迫力を感じます。この日のラトルは指揮棒を使わず、素手で指揮していました。指揮棒が無いと演奏しづらいのではないかと思うのですが、その分演奏する方もより集中するのかもしれません。プログラム的に決して大編成ではないので不思議なことでもないのでしょう。
第39番
ともて端整で典雅なモーツアルトらしい演奏。
第40番
第3楽章はしびれるほど綺麗で静かなアンサンブル
第4楽章はプログラム前半のラストに相応しい盛り上がりを見せるがまだ全開ではないかな。
20分ほど休憩
第41番
いよいよエンジン全開。オケも指揮者もものすごい集中力です。
第4楽章のフーガが織り成す極上の響きの空間は異次元の世界です。
この時間が永遠に続いてほしいと願いました。
しかし、演奏は永遠には続かないのです。楽譜通りに演奏は進みエンディングを迎えました。割れんばかりの拍手がホールを包みます。
ホテルへの帰り道、私と同じ歳くらいのドイツ人夫婦が手を繋いで歩きながら今夜のコンサートの感想を興奮気味に話している様子です。彼女がジュピターの終楽章のテーマ(ドレファミ「ジュピター音型」)を口ずさむのを聞いて私はハッとしました。これはJ.S.Bachの平均律第2巻ホ長調のフーガと同じです。こんなに有名な曲同士にこんな共通点があることに初めて気づきました。
ルルドから始まった今回の旅はパリのモーツァルトで大団円を迎えました。ヨーロッパという世界観を見極めたいというのが今年のテーマでしたが、2月のチェコとウィーンへの旅、そしてこの夏のルルドとパリへの旅を通して、地理的な広がりと時間的な奥行をもつヨーロッパが見えてきました。音楽とキリスト教が結びつき、模倣と変形を繰り返しながら今日まで続いていることを実感したのです。この迷宮のような音楽の森はまだまだたくさんの秘密を隠しているようです。
2013年5月6日月曜日
The SOUND of MUSIC
仕事ばかりのGWに疲れ、amazonで何気なく買ったブルーレイ。
子供の頃、毎年5月5日に公会堂で開催された子供向けのイベントで「ドレミの歌」を歌ったことを思い出した。画面を見ながら、マリア先生とトラップファミリーの歌に合わせて口ずさんでみたら、ちゃんと音名で歌えた。この歌は間違いなく私の音楽の基礎となっている。
映像もとっても綺麗。
2013年3月29日金曜日
佐村河内 守
佐村河内 守 著『交響曲第一番』
「壮絶」「苛酷」といった言葉をいくら並べても尽くし難い人生を送ってきた作曲家の自叙伝。
読んでいる間、何度も胸が詰まり、涙が溢れた。
また何かが自分の中でつながり、新しい扉が開いた気がした。
「壮絶」「苛酷」といった言葉をいくら並べても尽くし難い人生を送ってきた作曲家の自叙伝。
読んでいる間、何度も胸が詰まり、涙が溢れた。
また何かが自分の中でつながり、新しい扉が開いた気がした。
2013年2月11日月曜日
行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って
ウィーンから戻った朝はさすがに起きるのが遅くなり、時計を見たら11:50。ホテルのレストランで一人食事をしながら、そのアイデアを思いつきました。
『せっかくだから、プラハのオペラも観よう』
早速webで調べるとその夜は2つの劇場でオペラの上演が予定されていたのですが、ボックス席が残っていた国立オペラ劇場のチケットを取ることにしました。webでカード決済して、ホテルのビジネスセンターでチケットをプリントアウト。本当に便利な世の中です。
2時すぎにホテルを出て地下鉄で劇場の最寄り駅へ向かいました。20分ほどでついてしまう距離です。開演まではまだ時間があるので近くの美術館を観たり、ヴァーツラフ広場を散策します。20数年前にここで民主化デモが行われ、ビロード革命が成立したのですが、プラハの人々の素朴でとても穏やかな人柄を考えると当然のことのように思えます。
国立オペラ劇場
開演は19:00ですが18:00くらいから劇場入口に観客が集まり始めます。しかし、ドアが開くことはなく、寒い中誰も文句を言わずに開場を待ちます。ヨーロッパらしいですね。
この日のプログラムはヴェルディの「ナブッコ」です。もちろん、予習してません。一体どんなオペラなのでしょう。それでは劇場の中に入ります。
こじんまりしていて吹き抜けのホワイエこそありませんが、内装は豪華絢爛です。
昨夜のウィーンではすっかり舞いがってしまいオーケストラピットを見るのを忘れてしまいましたが、今夜はじっくり観察しました。意外と少人数編成です。なぜかドキドキします。
そして、劇場の中を見渡すと…これぞオペラ座。
平土間(Parkett)の席の場合は案内係が席まで案内してくれ、お礼にその日のプログラムを買うという習慣のようです。右端に写っているプログラムを抱えた女性がその案内係です。
昨夜の"LA CENERENTOLA"はコミカルなオペラ・ブッファでしたが、今夜の"NABUCOO"は本格派でした。正直始まるまではプラハはウィーンに比べたらローカルだし、値段も安い(ほぼ同じ席で1/4)し、それなりかなぁなどと勝手な想像をしていました。
しかし、それは間違いでした。ごめんなさい。反省します。
ウィーンのような現代的な演出はないものの、オーソドックスで練り上げられた舞台は安心して観ることができました。とにかく見せ方がうまい。群衆が登場する場面は滑らかで綺麗な動きがとても印象的でした。
歌手陣ではアビゲイル役のAnda-Louise Bogzaが圧倒的な声量と存在感を示していました。カーテンコールでは主役のナブッコ役の歌手より大きな拍手を受けていたくらいです。
Anda-Louise Bogzaの動画
劇中で歌われた合唱曲が耳に残り、後で調べてみると「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」という歌であり、イタリア第2の国家と呼ばれるほどに親しまれているそうです。確かにどこかで聞いたことがある気がしました。サラサラと流れるその旋律はタイトルそのものです。好きな歌がまた一つ増えました。
終演後、夜のヴァーツラフ広場を歩きながら考えました。
この世界は驚きと発見に満ちている。
音楽という深い森を歩く旅はこれからも続くのです。
『せっかくだから、プラハのオペラも観よう』
早速webで調べるとその夜は2つの劇場でオペラの上演が予定されていたのですが、ボックス席が残っていた国立オペラ劇場のチケットを取ることにしました。webでカード決済して、ホテルのビジネスセンターでチケットをプリントアウト。本当に便利な世の中です。
2時すぎにホテルを出て地下鉄で劇場の最寄り駅へ向かいました。20分ほどでついてしまう距離です。開演まではまだ時間があるので近くの美術館を観たり、ヴァーツラフ広場を散策します。20数年前にここで民主化デモが行われ、ビロード革命が成立したのですが、プラハの人々の素朴でとても穏やかな人柄を考えると当然のことのように思えます。
国立オペラ劇場
開演は19:00ですが18:00くらいから劇場入口に観客が集まり始めます。しかし、ドアが開くことはなく、寒い中誰も文句を言わずに開場を待ちます。ヨーロッパらしいですね。
この日のプログラムはヴェルディの「ナブッコ」です。もちろん、予習してません。一体どんなオペラなのでしょう。それでは劇場の中に入ります。
こじんまりしていて吹き抜けのホワイエこそありませんが、内装は豪華絢爛です。
昨夜のウィーンではすっかり舞いがってしまいオーケストラピットを見るのを忘れてしまいましたが、今夜はじっくり観察しました。意外と少人数編成です。なぜかドキドキします。
そして、劇場の中を見渡すと…これぞオペラ座。
平土間(Parkett)の席の場合は案内係が席まで案内してくれ、お礼にその日のプログラムを買うという習慣のようです。右端に写っているプログラムを抱えた女性がその案内係です。
昨夜の"LA CENERENTOLA"はコミカルなオペラ・ブッファでしたが、今夜の"NABUCOO"は本格派でした。正直始まるまではプラハはウィーンに比べたらローカルだし、値段も安い(ほぼ同じ席で1/4)し、それなりかなぁなどと勝手な想像をしていました。
しかし、それは間違いでした。ごめんなさい。反省します。
ウィーンのような現代的な演出はないものの、オーソドックスで練り上げられた舞台は安心して観ることができました。とにかく見せ方がうまい。群衆が登場する場面は滑らかで綺麗な動きがとても印象的でした。
歌手陣ではアビゲイル役のAnda-Louise Bogzaが圧倒的な声量と存在感を示していました。カーテンコールでは主役のナブッコ役の歌手より大きな拍手を受けていたくらいです。
Anda-Louise Bogzaの動画
劇中で歌われた合唱曲が耳に残り、後で調べてみると「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」という歌であり、イタリア第2の国家と呼ばれるほどに親しまれているそうです。確かにどこかで聞いたことがある気がしました。サラサラと流れるその旋律はタイトルそのものです。好きな歌がまた一つ増えました。
この世界は驚きと発見に満ちている。
音楽という深い森を歩く旅はこれからも続くのです。
2013年2月10日日曜日
"LA CENERENTOLA" in Wien
職場の社員旅行でプラハに4泊するのを利用してウィーンへ足を延ばすことにしました。
目的はオペラを観るためです。オペラは秋から春がシーズンなため、今回は絶好のチャンスです。しかも、あのWIENER STAATSOPER (ウィーン国立歌劇場)です。でも、あくまでも社員旅行なので外泊はNG。果たして翌朝までにホテルの部屋に戻ることはできるのでしょうか。

早朝のホームはまだ真っ暗です
グスタフ・マーラー号の車内
1stなのでゆったりしてますが、新幹線のように椅子は回転しません。
窓の外をぼんやり眺めながら物思いに耽ります。
やはり列車の旅はいいものです。
ケルントナー通り~グラーベン~コールマルクトを歩いてみました。有名建築や高級ブティックが建ち並んていてテンションが上がります。セレブ有閑マダムが闊歩する姿が似合う街並みです。
シュテファン大聖堂
ハンス・ホライン:ハース・ハウス
学生時代に話題になった建物なので印象的でした。
ハンス・ホライン:シュリン宝石店Ⅱ
オットー・ワーグナー:ウィーン郵便貯金局
道に迷いながらやっと見つけたこの建物はどうしても見たかった近代建築の名作。
期待通りでした。
オルトナー&オルトナー:近代美術館
ウィーンは一見美しく保守的でありながら、その背後に病的なもの、グロテスクなものを抱え込んでいるように感じます。もちろん比喩としてです。この美術館の展示を見るとそれがよく分かります。
ヨゼフ・マリア・オルブリッヒ:セセッション館
オペラの開演までまだ時間があったので、冷たい雨の降るウィーンの街を一人あてもなく歩いていたら昼間タクシーの中から見たこの建物に出くわしました。やはりウィーンは謎めいています。
6時を少し過ぎたころに劇場に到着し、この時のために用意したスーツの身なりを正して入口のドアを開けました。
劇場は想像していたよりも小さく、とても密度の高い空間です。
今夜のプログラムはロッシーニの"LA CENERENTOLA"。『シンデレラ』をもとにした物語です。正月休みにバルトリが歌うブルーレイで予習をしていたので聴きどころはわかっていましたが、超絶技巧でパワフルなバルトリに対して今夜のタラ・エロートが歌うアンジェリーナ(シンデレラ)は色白・ぽっちゃり・メガネ女子な風貌と相まって本来の弱気ないじめられキャラを上手く表現していたと思います。
時代設定は1950~60年くらい?
王子様役は自動車会社の御曹司で、最初は運転手に扮してお嫁さん探しに街へ出ます。
こちらもメガネ男子でなんかヨン様みたいでした。
目的はオペラを観るためです。オペラは秋から春がシーズンなため、今回は絶好のチャンスです。しかも、あのWIENER STAATSOPER (ウィーン国立歌劇場)です。でも、あくまでも社員旅行なので外泊はNG。果たして翌朝までにホテルの部屋に戻ることはできるのでしょうか。
ウィーンへ
職場の同僚数人を誘ったのですが、反応なし。気ままな一人旅となりました。プラハからウィーンへは列車で4時間45分。ウィーンの建築も見たかったので朝一の列車にしました。ヨーロッパの長距離列車は発車直前にならないと番線が表示されません。4時にはプラハ本駅についていたので、発車ホームが決まるまで駅の中を散策です。
4:39発のグスタフ・マーラー号!

早朝のホームはまだ真っ暗です
グスタフ・マーラー号の車内
1stなのでゆったりしてますが、新幹線のように椅子は回転しません。
窓の外をぼんやり眺めながら物思いに耽ります。
やはり列車の旅はいいものです。
ウィーンの建築
定刻より10分ほど早くウィーン・マイドリング駅に到着。駅前でタクシーに乗り、ウィーン国立歌劇場まで15分でした.。帰りはこの時間を頼りに劇場を出なければなりません。列車の時間とオペラの終演時刻を考えると微妙です。
ウィーン国立歌劇場
ケルントナー通り~グラーベン~コールマルクトを歩いてみました。有名建築や高級ブティックが建ち並んていてテンションが上がります。セレブ有閑マダムが闊歩する姿が似合う街並みです。
シュテファン大聖堂
ハンス・ホライン:ハース・ハウス
学生時代に話題になった建物なので印象的でした。
ハンス・ホライン:シュリン宝石店Ⅱ
オットー・ワーグナー:ウィーン郵便貯金局
道に迷いながらやっと見つけたこの建物はどうしても見たかった近代建築の名作。
期待通りでした。
オルトナー&オルトナー:近代美術館
ウィーンは一見美しく保守的でありながら、その背後に病的なもの、グロテスクなものを抱え込んでいるように感じます。もちろん比喩としてです。この美術館の展示を見るとそれがよく分かります。
ヨゼフ・マリア・オルブリッヒ:セセッション館
オペラの開演までまだ時間があったので、冷たい雨の降るウィーンの街を一人あてもなく歩いていたら昼間タクシーの中から見たこの建物に出くわしました。やはりウィーンは謎めいています。
LA CENERENTOLA
6時を少し過ぎたころに劇場に到着し、この時のために用意したスーツの身なりを正して入口のドアを開けました。
劇場は想像していたよりも小さく、とても密度の高い空間です。
今夜のプログラムはロッシーニの"LA CENERENTOLA"。『シンデレラ』をもとにした物語です。正月休みにバルトリが歌うブルーレイで予習をしていたので聴きどころはわかっていましたが、超絶技巧でパワフルなバルトリに対して今夜のタラ・エロートが歌うアンジェリーナ(シンデレラ)は色白・ぽっちゃり・メガネ女子な風貌と相まって本来の弱気ないじめられキャラを上手く表現していたと思います。
時代設定は1950~60年くらい?
王子様役は自動車会社の御曹司で、最初は運転手に扮してお嫁さん探しに街へ出ます。
こちらもメガネ男子でなんかヨン様みたいでした。
タラ・エラートの動画です。
今回はボックス席(PARTERRE LOGE)の最前列だったのでリラックスしつつも舞台に集中することができました。
FINALE~悲しみと涙のうちに生まれ~
プラハへ帰る列車は22:31に発車します。フィナーレの前に最後の舞台転換のために一旦幕が降りたのが21:55くらいでした。ここで席をたつべきか?最後まで観るべきか?決断を迫られました。『よし、最後まで観よう。列車に遅れたら、ウィーンのメリディアンにでも部屋をとればいい。なんとかなるさ。』 そして、再び幕が上がり、いよいよフィナーレです。花嫁姿のアンジェリーナは継父と姉達を許し、オープンカーに乗り込み、アリア『悲しみと涙のうちに生まれ』を歌い上げます。全神経を集中してこのアリアを聴き終わると時計は22:10でした。拍手と「ブラボー!」の歓声の中、カーテンコールを見届けることもなく、足早に席を立ちました。全力疾走でオペラ座の階段を駆け下り、ドアの外の車寄せで客待ちしているタクシーに飛び乗り駅へ向かいました。駅について発車ホームを電光掲示板で確認して、また全力疾走。なんとか発車5分前にホームにたどり着くことができました。そして、個室寝台車のベッドの上で、ウィーンを駆け抜けた一日を思い出しながらに眠りに落ちたのでした。
ラベル:
オペラ
場所:
オーストリア ウィーン
2013年1月15日火曜日
音楽+建築 01
学生の頃、音楽と建築を結びつけて捉えることはできないだろうかと考えていた。当時は知識も経験もなかったので、具体的なアイデアは浮かばなかったけど、最近はいろいろ思いつくことがある。
音楽にも建築にも「形式」という概念があるが、そもそも形式とは何かを考えていた時、ふと気づいた。
「形式とは終わること」
永遠につづく音楽には形式があるとは言えないし、無限に大きい建築には形式があるとは言えないだろう。バロック以前の古い音楽を聞いていると、形式感が希薄でいつ終わるのかが全く分からない。即興演奏や現場制作を離れて、音楽や建築が紙の上で構想されるようになった時、形式が進化したのではないか。
音楽にも建築にも「形式」という概念があるが、そもそも形式とは何かを考えていた時、ふと気づいた。
「形式とは終わること」
永遠につづく音楽には形式があるとは言えないし、無限に大きい建築には形式があるとは言えないだろう。バロック以前の古い音楽を聞いていると、形式感が希薄でいつ終わるのかが全く分からない。即興演奏や現場制作を離れて、音楽や建築が紙の上で構想されるようになった時、形式が進化したのではないか。
2013年1月10日木曜日
Kyrie
年末に買い込んだ中世~バロックのCDを片っ端から聞いているのだが、ここに来て先に進めなくなった。なぜならば、
バッハの「ロ短調ミサ」が素晴らしいすぎて、何度も繰り返し聞いてしまうため。
ミサ曲は色々な作曲家が遺しているが、構成や歌詞はあらかじめ決められており、「通常文」とされる部分はどの作曲家の曲でも同じ歌詞であることを先述の『中世・ルネサンスの音楽』により知った。半信半疑で手元にあるミサ曲のCDを調べてみると確かに同じである。
通常分とは
1 Kyrie(あわれみの賛歌)
2 Gloia(栄光の賛歌)
3 Credo(信仰宣言)
4 Sanctus(感謝の賛歌)
5 Agnus Dei (平和の賛歌)
であり、ロ短調ミサもこの通りである。
私は作曲家が聖書の詩篇から自由に選んで曲をつけていると思っていたので、意外であり、驚き、そして、納得した。
ロ短調ミサは前奏なしの合唱から急に始まるのが鮮烈であり、神の名を呼ぶ心の叫びのようである。
Kyrie Kyrie Kyrie eleison
(主よ、主よ、主よ、あわれみたまえ)
バッハの「ロ短調ミサ」が素晴らしいすぎて、何度も繰り返し聞いてしまうため。
ミサ曲は色々な作曲家が遺しているが、構成や歌詞はあらかじめ決められており、「通常文」とされる部分はどの作曲家の曲でも同じ歌詞であることを先述の『中世・ルネサンスの音楽』により知った。半信半疑で手元にあるミサ曲のCDを調べてみると確かに同じである。
通常分とは
1 Kyrie(あわれみの賛歌)
2 Gloia(栄光の賛歌)
3 Credo(信仰宣言)
4 Sanctus(感謝の賛歌)
5 Agnus Dei (平和の賛歌)
であり、ロ短調ミサもこの通りである。
私は作曲家が聖書の詩篇から自由に選んで曲をつけていると思っていたので、意外であり、驚き、そして、納得した。
ロ短調ミサは前奏なしの合唱から急に始まるのが鮮烈であり、神の名を呼ぶ心の叫びのようである。
Kyrie Kyrie Kyrie eleison
(主よ、主よ、主よ、あわれみたまえ)
2013年1月9日水曜日
音楽の深い森
皆川達夫著 『中世・ルネサンスの音楽』を読むにつれ、音楽の深淵を覗き見る畏怖の念を抱く。
あらゆる想像力を総動員して、しばらくこの深い森を歩きつづけることにしたい。
「歌うことは祈ること、祈ることは歌うこと」
人が歌うことの意味をこれほど端的に示すものはない。
あまりに根源的な問いへの回答を突然提示され、こちらが動揺してしまうほどだ。
あらゆる想像力を総動員して、しばらくこの深い森を歩きつづけることにしたい。
「歌うことは祈ること、祈ることは歌うこと」
人が歌うことの意味をこれほど端的に示すものはない。
あまりに根源的な問いへの回答を突然提示され、こちらが動揺してしまうほどだ。
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