2013年1月15日火曜日

音楽+建築 01

 学生の頃、音楽と建築を結びつけて捉えることはできないだろうかと考えていた。当時は知識も経験もなかったので、具体的なアイデアは浮かばなかったけど、最近はいろいろ思いつくことがある。

 音楽にも建築にも「形式」という概念があるが、そもそも形式とは何かを考えていた時、ふと気づいた。
 
「形式とは終わること」

 永遠につづく音楽には形式があるとは言えないし、無限に大きい建築には形式があるとは言えないだろう。バロック以前の古い音楽を聞いていると、形式感が希薄でいつ終わるのかが全く分からない。即興演奏や現場制作を離れて、音楽や建築が紙の上で構想されるようになった時、形式が進化したのではないか。

2013年1月10日木曜日

Kyrie

 年末に買い込んだ中世~バロックのCDを片っ端から聞いているのだが、ここに来て先に進めなくなった。なぜならば、
バッハの「ロ短調ミサ」が素晴らしいすぎて、何度も繰り返し聞いてしまうため。

ミサ曲は色々な作曲家が遺しているが、構成や歌詞はあらかじめ決められており、「通常文」とされる部分はどの作曲家の曲でも同じ歌詞であることを先述の『中世・ルネサンスの音楽』により知った。半信半疑で手元にあるミサ曲のCDを調べてみると確かに同じである。
通常分とは

1 Kyrie(あわれみの賛歌)
2  Gloia(栄光の賛歌)
3  Credo(信仰宣言)
4  Sanctus(感謝の賛歌)
5  Agnus Dei (平和の賛歌)

であり、ロ短調ミサもこの通りである。
私は作曲家が聖書の詩篇から自由に選んで曲をつけていると思っていたので、意外であり、驚き、そして、納得した。

ロ短調ミサは前奏なしの合唱から急に始まるのが鮮烈であり、神の名を呼ぶ心の叫びのようである。

Kyrie Kyrie Kyrie eleison
(主よ、主よ、主よ、あわれみたまえ)


2013年1月9日水曜日

音楽の深い森

皆川達夫著 『中世・ルネサンスの音楽』を読むにつれ、音楽の深淵を覗き見る畏怖の念を抱く。
あらゆる想像力を総動員して、しばらくこの深い森を歩きつづけることにしたい。

「歌うことは祈ること、祈ることは歌うこと」

人が歌うことの意味をこれほど端的に示すものはない。
あまりに根源的な問いへの回答を突然提示され、こちらが動揺してしまうほどだ。